首都圏は「弥生系」7割 日本人ルーツの研究に新手法、ミトコンドリアDNAから構成比
母親から子供に受け継がれるミトコンドリアDNAの型の分布から、「縄文系」「弥生系」の構成比を求める計算式を住斉筑波大名誉教授が考案した。
2008年08月04日 産経新聞ニュースより紹介します。
母親から子供にそのまま受け継がれる遺伝子「ミトコンドリア(mt)DNA」の型の分布から、母方のルーツが「縄文系」の人と「弥生(渡来)系」の人の構成比を求める計算式を、住斉(すみ・ひとし)・筑波大名誉教授(生物物理学)が考案した。
7地域、約3000人を対象にしたデータによると、首都圏では弥生系が約7割と多数派で、東北や南九州など縄文社会が発達した地域では縄文系が7~6割と多かった。
11月の日本人類学会大会で発表する。日本人の成り立ちを探る新たな方法として注目されそうだ。「日本人」は、大陸から北部九州を窓口に渡来した弥生人が、先住縄文人の子孫と混血しながら全国に拡散、形成されたと考えられている。
顔つきなど遺伝的特徴の地域差は、拡散や混血の度合いの違いによるとされ、その解明は人類学の大きなテーマだ。各地域集団の計算結果は表の通り。日本人の平均的集団と考えられる首都圏の弥生人の比率(71%)で、別の調査の歯の形態から割り出された現代関東人での弥生系の比率(75%)とほぼ同じだった。
逆に、縄文系の比率が高かったのが東北や南九州で、三内丸山(青森県)や上野原(鹿児島県)などの大規模遺跡に象徴される縄文社会の発達を改めて裏付けた。のちの時代、大和王権(朝廷)に抵抗した東北と南九州も縄文的な容姿や文化を色濃く持っていたとされているが、今回の調査でその遺伝子が現代まで濃厚に残っていることが裏付けられた。
現代人にも縄文系の特徴が色濃く残るとされる沖縄は、遺伝子解析でも縄文系の割合が最高だった。縄文系が約半数だった北九州は、弥生人流入の中心地の一つだけに意外な数字だが、母方のルーツでみた数字であり、「渡来した弥生人は男性中心で、先住の縄文人女性との間に子孫を残した」と考える説と矛盾しない。
mtDNAによる日本人のルーツ研究では、現代人に加えて縄文、弥生人骨からの抽出・分析も行われているが、双方に共通する型が多く、縄文系と弥生系の構成比は不明だった。
計算式は、mtDNAの型のうち、縄文系と弥生系それぞれが独自に持つとみられる2つの型に着目、構成比を求める。
「弥生系集団は全国で均質」など未検証の前提がつくが、住名誉教授は「遺伝子による日本人のルーツ研究の成果は複雑で、分かりやすく提示する仮説として考えた。都市部を除けば、住民の移動もまだ少なく、データはかなり正確だ。学会などで検証してもらい、計算式の精度を上げたい」としている。
中橋孝博・九州大大学院教授(人類学)の話「縄文人や弥生人の骨から抽出したmtDNAはデータが少なく、地域的な偏りもあって確実なことは言いにくい。ただ計算された構成比の全体的傾向は、さまざまな研究で知られるところと矛盾はしていない。今後データが増えれば、計算式についての議論も進むだろう」
◆ミトコンドリアDNA
父親から息子にのみ伝わる男系のY染色体DNAとともに、人類や民族集団の起源探究の有力なツール。現生人類の母方のルーツをアフリカの1人の女性(ミトコンドリア・イブ)と導き出し、人類「アフリカ単一起源説」の支持を高めた。日本人全体の祖先は2人の女性だが、人類の拡散途中に各地で生まれた多様な型を持っていること、南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面が優勢と考えられることなどを明らかにしている。
―――――――――――(以上、記事より)――――――――――――
宝来聰氏の研究でも、弥生時代以降に渡来人によってもたらされたミトコンドリアDNAの割合は65%とされており(倭国と日本国の関係史 日本人誕生の意味より)、日本人の形成に、渡来人が重要な役割を果たしたことは確かなようです。どの程度の渡来人がやってくれば、現代のような割合になるのか、今後追求したいと思います。
参照元 : 人間の結婚のコミュニティ社会史
東京は日本開闢以来の部落地域であり、東京人は北方朝鮮系の遺伝子
国立科学博物館
666年 百済人2000人を東国に移す。
684年 百済人23人を武蔵に移す。
687年 高句麗人56人を常陸に移す。
687年 新羅人を下野・武蔵に数十人の単位で随時移す。
716年 甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野など7国の高麗人1799人を武蔵国に移し高麗郡を置く。
<続日本紀より>
東京人が、朝鮮(高句麗、新羅、百済)系であることを示す証拠はいくらでもあるが、縄文系であることを示す証拠は何も無い。
日本人の2重構造でも近畿から離れる東北や沖縄ほど縄文人の血が強くなると証明されている。これは人類学の常識。
母親から子供に受け継がれるミトコンドリアDNAの型の分布から、「縄文系」「弥生系」の構成比を求める計算式を住斉筑波大名誉教授が考案した。
2008年08月04日 産経新聞ニュースより紹介します。
母親から子供にそのまま受け継がれる遺伝子「ミトコンドリア(mt)DNA」の型の分布から、母方のルーツが「縄文系」の人と「弥生(渡来)系」の人の構成比を求める計算式を、住斉(すみ・ひとし)・筑波大名誉教授(生物物理学)が考案した。
7地域、約3000人を対象にしたデータによると、首都圏では弥生系が約7割と多数派で、東北や南九州など縄文社会が発達した地域では縄文系が7~6割と多かった。
11月の日本人類学会大会で発表する。日本人の成り立ちを探る新たな方法として注目されそうだ。「日本人」は、大陸から北部九州を窓口に渡来した弥生人が、先住縄文人の子孫と混血しながら全国に拡散、形成されたと考えられている。
顔つきなど遺伝的特徴の地域差は、拡散や混血の度合いの違いによるとされ、その解明は人類学の大きなテーマだ。各地域集団の計算結果は表の通り。日本人の平均的集団と考えられる首都圏の弥生人の比率(71%)で、別の調査の歯の形態から割り出された現代関東人での弥生系の比率(75%)とほぼ同じだった。
逆に、縄文系の比率が高かったのが東北や南九州で、三内丸山(青森県)や上野原(鹿児島県)などの大規模遺跡に象徴される縄文社会の発達を改めて裏付けた。のちの時代、大和王権(朝廷)に抵抗した東北と南九州も縄文的な容姿や文化を色濃く持っていたとされているが、今回の調査でその遺伝子が現代まで濃厚に残っていることが裏付けられた。
現代人にも縄文系の特徴が色濃く残るとされる沖縄は、遺伝子解析でも縄文系の割合が最高だった。縄文系が約半数だった北九州は、弥生人流入の中心地の一つだけに意外な数字だが、母方のルーツでみた数字であり、「渡来した弥生人は男性中心で、先住の縄文人女性との間に子孫を残した」と考える説と矛盾しない。
mtDNAによる日本人のルーツ研究では、現代人に加えて縄文、弥生人骨からの抽出・分析も行われているが、双方に共通する型が多く、縄文系と弥生系の構成比は不明だった。
計算式は、mtDNAの型のうち、縄文系と弥生系それぞれが独自に持つとみられる2つの型に着目、構成比を求める。
「弥生系集団は全国で均質」など未検証の前提がつくが、住名誉教授は「遺伝子による日本人のルーツ研究の成果は複雑で、分かりやすく提示する仮説として考えた。都市部を除けば、住民の移動もまだ少なく、データはかなり正確だ。学会などで検証してもらい、計算式の精度を上げたい」としている。
中橋孝博・九州大大学院教授(人類学)の話「縄文人や弥生人の骨から抽出したmtDNAはデータが少なく、地域的な偏りもあって確実なことは言いにくい。ただ計算された構成比の全体的傾向は、さまざまな研究で知られるところと矛盾はしていない。今後データが増えれば、計算式についての議論も進むだろう」
◆ミトコンドリアDNA
父親から息子にのみ伝わる男系のY染色体DNAとともに、人類や民族集団の起源探究の有力なツール。現生人類の母方のルーツをアフリカの1人の女性(ミトコンドリア・イブ)と導き出し、人類「アフリカ単一起源説」の支持を高めた。日本人全体の祖先は2人の女性だが、人類の拡散途中に各地で生まれた多様な型を持っていること、南方説が有力だった縄文人のルーツは弥生人同様、大陸方面が優勢と考えられることなどを明らかにしている。
―――――――――――(以上、記事より)――――――――――――
宝来聰氏の研究でも、弥生時代以降に渡来人によってもたらされたミトコンドリアDNAの割合は65%とされており(倭国と日本国の関係史 日本人誕生の意味より)、日本人の形成に、渡来人が重要な役割を果たしたことは確かなようです。どの程度の渡来人がやってくれば、現代のような割合になるのか、今後追求したいと思います。
参照元 : 人間の結婚のコミュニティ社会史
東京は日本開闢以来の部落地域であり、東京人は北方朝鮮系の遺伝子
国立科学博物館
666年 百済人2000人を東国に移す。
684年 百済人23人を武蔵に移す。
687年 高句麗人56人を常陸に移す。
687年 新羅人を下野・武蔵に数十人の単位で随時移す。
716年 甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野など7国の高麗人1799人を武蔵国に移し高麗郡を置く。
<続日本紀より>
東京人が、朝鮮(高句麗、新羅、百済)系であることを示す証拠はいくらでもあるが、縄文系であることを示す証拠は何も無い。
日本人の2重構造でも近畿から離れる東北や沖縄ほど縄文人の血が強くなると証明されている。これは人類学の常識。
▼身体的特徴から求めた朝鮮人との遺伝的近似性(小浜基次・阪大教授による)
頭示数
蝦夷人 76.55
東北人 80.16
畿内人 84.98
朝鮮人 85.16
▼手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との遺伝的距離
(山口敏『日本人の顔と身体』より)
0.000…朝鮮半島
0.007…近畿地方
- - - - - - - - - - -
0.012 ...中央場所
0.035…中国地方
0.035…九州地方
0.038 ...四国場所
0.048…関東地方
0.068 ...東北地方
0.092…南西諸島
近畿 = 本物の日本人 蝦夷 = 東北 = 蛮族 = 征夷の対象
記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」
平成24年11月1日
東京大学大学院医学系研究科、総合研究大学院大学
その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
以下略
参照元 : 東京大学
平均顔
日本
韓国
中国
天皇の出目について、めざまし政治ブログより一部抜擢
遂に発見!天皇の出自=「百済王氏の氏寺だった百済寺を訪れる」引用(ミラーページ含む)
鹿島昇氏の「日本史のタブーに挑んだ男」 や、さらに詳しくは「日本侵略興亡史」などの書籍からもわかるように、
天皇の歴史は「百済・高句麗・新羅」の朝鮮史を組み合わせたもので、氏素性は百済の王家になった一族。神武天皇は元はエビスと呼ばれた殷人(シュメール人)の扶余族でタケミカズチとも呼ばれ、朝鮮百済を経由し、九州南倭を滅ぼし、博多に伊都国を建国した。神武天皇の妻が卑弥呼で、卑弥呼の実家はユダヤ系亡命者の公孫氏で神武天皇が亡くなった後は、宮崎県西都市にある日向・西都原に都を移し、倭の王国連合を統治した。
なお蛇足ながら、「藤原鎌足」は捏造された人物である。白村江の戦いで勝利した新羅の大将軍・金庚信(ゆしん)と、唐に全面降伏し服従した百済近衛の将軍・郭務悰(かくむそう)を合成した人物である。畿内の秦王国に新しく「日本」を作り、その内政に参与した。中臣氏とは伽耶国の古い家来(遺臣)の者たちである。
(中略)
なお九州国立歴史博物館で百済展をやっていたが、
肝心の「天皇の起源」などの事を隠しており、百済の里や西都原古墳などにふれていなかった。
そこで、その旨を批判するアンケートを投函しておいた。
すると後日、九州国立歴史博物館の人から電話で連絡をいただき、「本来の百済展では最もハッキリ、百済の関係がわかる、大阪府牧方市にある百済寺の関連資料を展示すべきだった」と言っていた。
そこで百済寺に関する資料として、下記のページを見つけたものの、ちょっと著者のHPの該当するページが読みにくくて困ったので、下記にミラーページとして残しておきます。このページでポイントは最後の部分で、百済王一族が星辰信仰を持っていたことに着目され、四神や星宿が描かれた壁画古墳は「宇宙王」の墓であり、倭国に渡来した百済王家の一族の墓こそふさわしいとされる。そして、百済王禅広を高松塚古墳、息子の昌成をキトラ古墳の被葬者と推定しておられる。
百済王氏の氏寺だった百済寺跡を訪れる
橿原日記
(以下、省略)
参照元 : めざまし政治ブログ
へぇー!伊藤博文は豊臣秀吉らと同じ蜂屋(鉢屋衆)賀麻党(忍者の芸能集団)!元は飯母呂一族で百済から渡来。長州藩の藩主でさへ逆らえず「そうせい」しか言えない「そうせい候」と呼ばれた #花燃ゆ
http://t.co/N7xY53eoHO pic.twitter.com/ISNGaL7k4b
-服部淳二(占オリジナルグランプリのオン/オフを撃退)(JunjiHattori)2015、3月19
そう、実際に現場を取材してわかった!朝鮮を通ってやって来た南朝側天皇の守り人「吉田松陰が兵法を教えた朝鮮陶工部落で萩焼(松本焼)発祥の松本村:卑下し松下村塾と命名
http://t.co/US60enfOS8
明治維新の謎は解けた!
http://t.co/CwkwKwiJNe
-服部淳二(JunjiHattori)(Zhanのは、オフ/オフ、元グランプリ戦う)、2015年3月8
天皇の守り人が秘密にしてきた天皇エタの出自と犯罪
偽天皇と田布施システム
日本赤十字社
名誉総裁・名誉副総裁
名誉総裁 皇后陛下
名誉副総裁 皇太子殿下・同妃殿下 秋篠宮妃殿下
常陸宮殿下・同妃殿下
三笠宮殿下・同妃殿下 寬仁親王妃信子殿下
高円宮妃殿下
参照元 : 日本赤十字社HP
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