2014年6月8日日曜日

安倍晋三と在日コリアンの繋がり

週刊ポスト2014年5月9.16日号にて、安倍一族と在日コリアンとの繋がりを紹介していたので一部紹介します。

安倍と「在日」~ 総理の「金脈」を支える知られざるコリアンパワー



靖国を参拝し、河野談話見直しに触れた安倍晋三は、しばしば、隣国のことを嫌うタカ派といわれる。だが、その見方はあまりにも表層的すぎる。安倍は祖父の代から、地元・下関で在日コリアンから「人脈」と「金脈」で多大な支援を受けてきた。知られざる安倍三代と「在日」の交流をジャーナリスト・李策氏が現地リポートする。

(前略)

岸と晋太郎、晋三は三代にわたり、朝鮮半島、そして在日の人々ときわめて密接な関わりを持ってきた。下関の街を歩くと、その縁の深さを示す手掛かりが数多くみつかる。

JR下関駅から車で5分。関門海峡に面した所に、室町から江戸時代にかけ日本を訪れた朝鮮通信使の記念碑が建っている。2001年、地元政財界の有志が建立したもので、碑の裏には晋三の名が刻まれている。「朝鮮通信使上陸淹留之地」と揮毫した韓国の元首相・金饉泌は岸や晋太郎と親交を結んでいた。

父親が晋太郎の支援者だったという在日2世のパチンコ店経営者は、「金首相が下関を訪れたときには、私の父や地元の民団幹部と並んで、晋太郎さんがいっしょに食事していました」と懐かしむ。

下関駅前のコリアンタウン「グリーンモール商店街」には、63年間営業を続ける食堂「アリアン」がある。晋三が常連で、店内には「福」と墨書した色紙や、昭恵夫人といっしょに訪れた際の写真が飾られている。

(中略)

中選挙区時代、岸は生家のあった山口市を含む旧山口2区を、晋太郎は郷里・油谷町(現長門市)や下関市などからなる旧山口1区を選挙区としていた。1994年、小選挙区制に移行してからも、下関と長門(山口4区)は晋三の地元だ。

下関の地名は、在日韓国・朝鮮人にとって特別な響きを持っている。戦前戦中には関釜連絡線が年間200万人を運び、朝鮮半島から労働力として送り込まれた人々が、後に在日コミュニティーを築いたからだ。

現在、下関市に暮らす在日外国人のうち、韓国、朝鮮籍の人は約2900人。大多数が戦前に渡ってきた人とその子孫だ。下関市の全人口(約27万人)に占める在日の比率は1%で、全国平均(0.4%)の倍以上。日本国籍を取得した人とその家族を加えれば、下関の在日人口は万を超える。今回の現地取材で見えてきたのは、岸から晋三に至る3代の政治家が、「単なる近所づきあい」ではくくれないほど、在日社会と深い因縁を結んでいる事実だった。

「東声会」町井久之

日韓国交正常化は来年で50周年を迎える。この間、韓国経済は世界でも稀に見る高度経済成長を遂げた。その元手となったのが、国交正常化に際して日本が提供した無償3億ドル・有償2億ドルの経済支援であったことは論をまたない。援助を主導したのは岸。つまり、韓国経済にとっての大恩人ということになる。

しかしその一方、岸が日韓国交正常化を踏み台に、地元・山口と韓国にまたがる「王国」を作り上げたことはあまり語られない。

(中略)

そして、国交正常化と同時に、李承晩ラインが撤廃されると、下関を母港とする漁船団の漁場は一気に拡大。1960年代、下関漁港の水揚げ量は日本一を誇り、地域経済は繁栄をきわめた。そのきっかけになったのが、日韓国交正常化だったのだ。そして、そのことが岸の「金脈」を太くする。

地元財界人がいう。

「当時、下関に本社のあった大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)は、東大卒の新入社員を取り放題というほど、勢いがあった。関連企業も潤い、巻き網やウインチの製造で世界のトップクラスを占めた会社もある。それらの業者がことごとく岸さんの応援団になった」

国交回復後、岸はさらに対岸の韓国政界の中枢と関係を深めていく。そのとき、岸に韓国人脈をつないだキーマンのひとりが町井久之だった。

町井は本名を鄭建永という。1923年、東京に生まれた町井は戦後、在日を中心に1500人の無頼漢を糾合し、暴力団「東声会」会長として名をはせた。政界の黒幕・児玉誉士夫とはとくに親しく、その政界人脈を足掛かりに、日韓国交正常化交渉の水面下で橋渡しを果たした。

この時、岸と町井は児玉を介して接近。岸は町井が主催するパーティーにちょくちょく顔を出し、町井が東京・六本木に巨大な複合ビル「TSK・CCCターミナル」を建てると、主賓として竣工式に招かれている。

岸は国交正常化後、ソウル市地下鉄開発など巨額の日韓ビジネスを差配した。町井にとっては利権に食い込むためた最重要パートナーでもあった。
その両者の協力関係は、下関で結実する。

パチンコマネー

岸が山口と韓国に築いた王国と人脈は、彼の秘書官を経て政界に打って出た晋太郎に受け継がれた。その上、晋太郎は在日とのパイプをさらに太くしていく。

かつて晋太郎が住み、いまは晋三名義となっている敷地面積2000平方メートルの豪邸は、下関市街を見下ろす高台に建っている。この家のかつての持ち主の名は、吉本章治という。福岡市に本社を置くパチンコ店チェーン・七洋物産の創業者。彼は、日本に帰化した在日1世である。晋太郎は長らく、自宅と地元事務所を七洋物産の子会社から格安で賃借していたほか、福岡事務所をタダで借り、スタッフの提供まで受けていた。

(中略)

安倍家と吉本家が家族ぐるみで付き合っていたのは間違いない。

(中略)

興味深いのは、晋太郎が在日の支援を受けなければならなかった理由だ。地元政界の事情通が話す。

「旧山口1区の定数は4議席で、3つを自民党候補が分け合い、残りを社会党が取る構図が定着していました。岸さんをバックにした晋太郎さんは余裕で当選していましたが、次期総理をねらうには、トップ当選が至上命題だった。しかも晋太郎さんには林善郎元蔵相という強力なライバルがいました。(略)それに勝つために、晋太郎さんは中小企業を幅広く糾合する必要があった。その中でも資金力があり、多くの従業員を抱える在日の企業の存在は大きかった」

晋太郎は地元での票の取り合いに加え、中央財界での権力闘争でも勝ち抜かなければならなかった。時は、派閥政治の全盛期。総理の座をつかむには、カネはいくらあっても足りない。

(中略)

バブルの追い風を受け、地元の在日のパチンコマネーは拡大を続けた。総理の座を目指す晋太郎が、前述の吉本しかり、パチンコマネーに頼らないわけがなかった。
また晋太郎は、岸による国交正常化で潤った在日の水産業者にも手を伸ばす。晋太郎は1974年、農林大臣として初入閣した。晋太郎に接近し、漁獲や水産物輸入枠の割り当てで便宜を図ってもらおうと考える水産業者は多く、彼らは晋太郎の有力スポンサーになった。

「貧しかった頃の韓国では日本製の腕時計がたいへんなステータスで、安いモノでも高く売れた。しかし普通に輸出したのでは高率の関税がかけられる。そこで、船員たちの下着に時計をいくつも縫いつける方法で密輸した」(同前)

そうした「副業」でも莫大な収入を得たある水産業者は、晋太郎の地元有力支援者として知られる。

受け継がれつ人脈と金脈。下関の古株の在日の間では、こんな話も聞かれた。

「晋太郎さんが林家に勝つため、岸さんが町井さんに晋太郎さんへの支援を要請したと聞いています。民団草創期の大幹部だった町井さんは、下関の仲間にいくらでも号令をかけることは、できましたから」(同前)

(中略)

晋三が初めて立候補したのは、自民党が下野した1993年の衆院選だ。地元では晋太郎の系列だった県議が反旗を翻して対立候補となり、突然の逆風に見舞われた。

そんな中でも、父の代から安倍家を支えた在日は晋三の応援を続けた。経営するホテルの従業員とともに街頭に繰り出し、「エイエイオー」とエールを送った在日の経営者もいた。

「あの時は、秘書や支援者の一部も反対陣営に回ってしまった。すでに安倍家にとって欠かせない票田であり、金脈だった在日の義理堅さはありがたかったでしょう」(地元紙記者)

晋三の下関にある地元事務所は、晋太郎時代のまま、在日1世が創業したパチンコ店チェーンの子会社から借りている。また、晋太郎の助力で業績を伸ばした前出の在日の水産業者は、晋三の代になっても支援を続けている。もちろん、日本に帰化していれば、晋三が献金などの形で彼らを頼ることに問題はない。実際そうした後援者はいつまでも数多くいる。(後略)(引用ここまで)

『週刊ポスト 2014年5月9.16日号』より抜粋


第72回「安倍一族を支える在日コリアン人脈について~政界からアウトローにまで広がる在日パワーの内実とは?~」



ラジオフォーラム

Web公開 2014年5月26日(月)
ラジオ放送日:5月23日(金)~30日(金)

ゲスト:李策(リ・チェク)さん(在日韓国人3世のライター)
パーソナリティ:石丸次郎(ジャーナリスト)
テーマ:北朝鮮と在日コリアン



安倍一族を支える在日コリアン人脈について~政界からアウトローにまで広がる在日パワーの内実とは?~

週刊ポストの5/9号に『「安倍と在日」総理の金脈を支える知られざるコリアン・パワー』という題した李策(リ・チェク)さんのルポが掲載されました。

テーマは、主に安倍首相の祖父、岸信介、父、安倍晋太郎の代からの在日金脈とのつながりについて書かれたもの。果たして、安倍晋三一族も在日パワーと縁が深いのか?

一方、戦後のスポーツ界や芸能界で、多くの在日韓国・朝鮮人が活躍してきました。ヤクザや地下経済の分野、いわゆるアウトローの世界でも在日コリアンは少なからぬ影響力を持ち、政財界においてもそのパワーは無視できないものがありました。その内実とはどのようなものだったのか?

近年の弱体化が著しい朝鮮総連の実情と、金正恩体制との関係についても取り上げます。

以下略

参照元 : ラジオフォーラム




謎の団体「創誠天志塾」に韓国系カルト宗教の影



「創誠天志塾」という謎の団体名をネット上で見かけたことがある人も多いのではないか。フェイスブックの安倍晋三ファンページトップには常にこの塾のアイコンが鎮座しているし、最近ではチャンネル桜が取り上げたこともありネトウヨ派にはお馴染みだろう。けれども、その実態についてはあまり知られていない。

実は、この創誠天志塾は青年真志塾という団体から分派してできた経緯があり、前身の青年真志塾は新興宗教団体「生長の家」の幹部信者が設立した政治塾なのだlink。天志塾の塾長は真志塾で幹事長を務めていた人物である。こうなると天志塾も当然、生長の家との関係が疑われるだろうけど、そう単純な話でもなさそうで、こっちはこっちでまたワケ有りのようだ。

創誠天志塾とは 下の引用からもわかるように、日本経済人懇話会を母体とする青年真志塾から派生したのが創誠天志塾。青年真志塾の塾長は神谷光徳という生長の家の幹部で、この塾には生長の家の信者が通う。

真志塾は一度解散するが後に再始動。旧真志塾の塾生は真志塾に残った者と天志塾に移った者がいる模様。分裂した理由は不明。青年真志塾について詳しくはこちらのページ

さて、現青年真志塾は親会でもあった日本経済人懇話会との話し合いの上、今回の2月14日の月例会をもちまして発展的解散をし、独立することになりました。

現青年真志塾は解散はいたしますが、2月11日、建国記念日の佳き日を期して、その発展的解消の場として、日本経済人懇話会から独立した新たな組織を設立いたしました。

その名も「創誠天志塾」です。 そこで今回真志塾最終月例会にて、神谷光徳塾長へ、これまでの活動をご指導下さったことへの感謝を表明いたしますと共に、天志塾塾長に就任する小川榮太郎より創塾のご挨拶を申し上げさせていただきました。

参照元 : ~「青年真志塾」解散と「創誠天志塾」創立のご挨拶~

創誠天志塾の塾長は『約束の日 安倍晋三試論』著者の小川榮太郎。小川は(旧)青年真志塾では幹事長を務めていた。天志塾を立ち上げた頃はまだ無名(?)の文藝評論家だった。

※創誠天志塾 創塾:平成24年2月11日

※創誠天志塾とは・・・ 政治、経済、歴史、哲学、文学、思想等、様々な勉強会、諸行事、諸活動を開催し、日本をよりよくしていくことのできる、人格、識見を持つ第一級の人材の育成に寄与することを目的とする。

※創誠天志塾の活動
(1) 政治、経済、歴史、哲学、文学、思想等、学術の振興を図る活動
(2) 経済活動の活性化を図る活動
(3) 日本のくにづくり活動 ※創誠天志塾 塾是 一.大和魂に則って生きるべし。

(本質的な意味での母性原理) 一.人たるの基、仁義礼智信を重んずべし。(儒教・五常) 一.己を磨き、家族を大切にし、祖国を愛し、世界の平和に寄与する 人材たるべし(大学) 一.大事には、無私・奉仕の精神で臨み、小事にあっては、乱暴たる を辞さず、思い切り自己の持味を発揮すべし。(以下は塾内心得) 一.学びは静かにどこまでも深く追求すべし。

一.議論は自由・活発にすべし。 一.仕事を自分で作り出し、結果の責任は進んで負うべし。 一.人生を全力で謳歌すべし。(エラン・ヴィタール(アンリ・ベルクソン))

塾長:小川榮太郎(文藝評論家)

参照元 : 創誠天志塾 基本データ

新興宗教の関連団体は往々にして正体を隠すもの。幹事の張とコメントしている古池という塾生については後述。





参照元 : 創誠天志塾FB

天志塾の特色 創誠天志塾は主にフェイスブックで活動報告や告知などをしている。投稿は政治に関するものが大半で、その多くが安倍晋三を礼賛する内容。安倍に批判的な記事を書いた新聞・雑誌への敵愾心をあらわにしたエントリーも多く、下のスクリーンショットからも見て取れるようにいわゆる安倍信者だ。なお、塾の第1回月例回のテーマは「僕は、安倍晋三を総理にする!」だった。

勉強会では塾生がこのような資料を用意してプレゼンしている。



参照元 : タイムラインの写真

(中略)

塾生について

塾生A

安倍の隣は天志塾の幹事で創塾メンバーの張(玉山)珉碩という在日韓国人(現在は帰化して日本人)。自民党の熱心な支持者であり反共・反左翼思想の持ち主。



参照元 : 創誠天志塾 Facebook

安倍晋三とはフェイスブックで挨拶を交わす仲で、昨年(2013年)4月には総理大臣主催の「桜を見る会」にも招待された。



参照元 : 玉山 珉碩 - タイムラインの写真 Facebook



塾生B

左(上)の写真は2012年2月に天志塾のメンバーが靖国神社へ参拝したときのもの。向かって右は旧真志塾のころから通う塾生で、統一教会系シンクタンク世界戦略総合研究所linkの事務局次長を務める小林幸司という人物link。

本人のFacebook(右のスクリーンショット)からもわかるように統一教会機関誌・世界日報の関係者でもあり、おそらく統一教会の信者。この人は安倍晋三の支持者で嫌韓派。小林の隣は塾長の小川、左奥は幹事の玉山(張)。





小林 幸司 – 携帯アップロード

塾生C



創誠天志塾 – タイムラインの写真

塾のアイドル的存在か?



url| Facebook

この塾生は純福音教会の信者のようだ。汝矣島純福音教会は統一教会と同じく韓国発祥のキリスト教系新宗教。政治的にも右寄りで北朝鮮に向けプロパガンダ風船を飛ばしたりもしているとか。これはキャッシュに残るページ。



おしらせ – ボガエヴスカ オレナ(Bogaievska olena)さんを歓迎します。!!! via kwout



純福音つくば教会

サンケイに掲載

「Project J」という学生団体がサンケイエクスプレスに載り、その中に天志塾の塾生を数名確認できる。塾FBでの紹介のしかたから天志塾が「Project J」を名乗った可能性もある。

産経は前身の青年真志塾のことも紙面で取り上げていて、母体の日本経済人懇話会では産経新聞の取締役や記者がたびたび講師をしている。また、産経は統一教会だけでなく汝矣島純福音教会とも関係が深い。



政治家との関係 自民党総裁選での安倍晋三選出を受けて2012年9月27日に開かれた天志塾の祝賀会。中には涙を流して喜ぶ塾生も。左上で拳を突き上げているのは城内実。下でコメントしている小林久人(塾生の小林とは別)は世界日報の販売局長(=統一教会信者)。

 

安倍晋三 新総裁誕生 祝勝会 | Facebook

翌10月には安倍事務所と天志塾の懇親会も開かれた。



大懇親会(安倍事務所 × 天志塾)

これは塾のチラシ。長谷川三千子、竹本忠雄、伊藤哲夫は日本会議の役員。日本会議事務総長の椛島有三と日本政策研究センターの伊藤哲夫は生長の家の信者。日本会議は実質的に日本青年協議会(日青協)が動かしているといわれ、日青協は生長の家学生会全国総連合(生学連)が発展してできた組織link。ちなみに衛藤晟一も生長の家を信仰する。

 

前列向かって右から現内閣総理大臣補佐官で生長の家の衛藤晟一、天志塾塾長の小川榮太郎、純福音教会の塾生、その後ろは世界日報(統一教会)の塾生、左は元在日韓国人の幹事。天志塾第4回月例回にて。



つまり安倍晋三をはじめとする保守政治家と親交のある団体に韓国発祥の新興宗教の信者がいるということ。旧真志塾の分裂についての解釈は人それぞれだろうと思う。

青年真志塾の場合は塾長が生長の家の信者で、そこに通う塾生にも同じく信者がいたことから属性が分かりやすかったけど、創誠天志塾はいまいち判然としない。

旧真志塾が、生長の家系の現真志塾と韓国系の天志塾に分かれたのだとしても、現真志塾の勉強会にも統一教会員が参加していることや、天志塾で衛藤晟一事務所を訪問したり蜜月なことなど、うまく説明できない部分もある。

宗教との縁を切るために天志塾が設立され、そこに後から宗教関係者が潜り込んだとの見方もできなくもないが…。

それとこれは蛇足だが、安倍家は古くから地元山口の在日社会から支援を受けてきた事実があり、何より統一教会とは祖父の代から懇意。「自民=嫌韓=日本人」みたいなステレオタイプの固定観念で凝り固まっている人は、一度リセットしたほうが良いのかも知れない。(敬称略)

参照元 : 政教ログ


未だにネットで安倍晋三や自民党を応援してるのは日本人ではなく、日本人になりすました在日コリアンではないのか?



安倍政権の政策は日本人を苦しめるものばかりなのに、日本人の支持者が居るのは不自然ですよね?パチンコ合法化やサラ金業者の金利優遇などの政策を見てもわかる通り、安倍のやってることは在日を助ける政策ばかり。安倍晋三の血筋も朝鮮系と言われてるので、在日コリアンを優遇するのは辻褄が合う。



山口県、鹿児島県の熊毛郡と田布施村

大室寅之祐=明治天皇
伊藤博文
岸 信介
佐藤 栄作
安倍源基
宮本顕治
小泉前首相の父・純也
東郷茂徳

参考 : なぜにここまで日本を動かした要人が同じ出自なのか?「山口県田布施町の怪(上)」

安倍日本首相の父親「私は朝鮮人だ」


※田布施町とは朝鮮部落のことである。





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